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お好み焼きの歴史は、広島の歴史でもある。
 
お好み焼きの誕生、日本史・世界史
 お好み焼きの歴史は、古くは中国の孔子までさかのぼる。
 2千5百年ほど前、孔子が食べていたとされるのは、「煎餅(せんびん)」という、小麦粉を水で溶いて平らに焼いただけの
とてもシンプルなものであった。
 その後、遣唐使船によって日本に伝えられた「煎餅(せんびん)」は、千利休によって「ふの焼き(うどん粉を水と酒で練り
焼いたものに山椒や甘味噌をぬった茶菓子)」として、わび・さびの精神を追求した安土桃山時代の確立された様式美とし
て食される。
 菓子の「せんべい」「桜餅」を経て、明治に入り「助惣(すけそう)焼き(餡の代わりに味噌を巻く、どら焼きの原型)」、「ちょ
ぼ焼き(たこ焼きの原型)」、明治の終わりには、駄菓子屋を出自とした東京の「もんじゃ」に代表される食べ物に変化して
いく。
 そこから昭和初期の「一銭洋食」へと形を変え、洋食化の波に乗りソースを使用するようになって、現在のお好み焼きに
至るのである。
 
 
広島のお好み焼きの誕生
広島におけるお好み焼きは、この一銭洋食が戦後の悲惨な状況の中、広く食べられるようになったことから始まったと言
われている。
 昭和25年頃は、アメリカ軍から支給されたメリケン粉(=小麦粉)を水で溶いて薄く延ばして焼き、その中に観音ネギ(広
島市観音地区で多く作られる、九条ネギの流れをくむネギ)をまぶして一緒に焼いたものが主流であった。当時高かったネ
ギに代わり、安くておいしくて、ボリュームのあるキャベツが使われるようになったのが、広島焼きの原型である。また、お
好み焼の名前の由来通り、「好きなものを入れて食べる、ボリュームアップしてお腹一杯になる」中華麺を入れることで、
広島独特のお好み焼きに成長していった。また現在でも、一銭洋食の名残からか、お持ち帰り用のお好み焼きとして二つ
折りのお好み焼きも見かけることがある。
 そして、よく見ていただくとわかるのだが、広島のお好み焼き屋の名前には「○○ちゃん」という名前のお好み焼き屋が
多い。これは、戦争で父や夫を亡くした多くの女性が自分の力で出店していたため、女手一つで頑張った店主の名前が多
くつけられているのである。
 昭和30年頃になると、西新天地公共広場を中心に、お好み焼屋を中心とした屋台が約50件集まり、広島人にとってはな
くてはならない場所となり、そこで食文化が成長していった。その後昭和40年頃になり、場所を西新天地公共広場から移
し、「お好み村」「広島駅ビル」のような集合店舗が発達してきた。
 現在では、お好み焼店舗数も広島市内に約1000店舗、広島県内においては約2000店舗に増加し、広島の食文化とし
て定着している。
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